3月15日午前11時25分、父が亡くなりました。
2月14日に救急車で運ばれ、1か月間頑張りました。
子供の頃は怖くてしかたなかった父が、まるで子供のようになり、娘3人で看病していたのですが、ちょっとでも私達の姿が見えないと、寂しいと言って私達を探すのです。
酸素も10Lから3Lになり、主治医に期待をしてはいけないと毎日のように言われても、もしかしたら良くなるのではと、かすかな期待を持ってしまいました。
思い出がたくさん詰まった家に帰りたいと、ため息をつきながら重湯を飲み、リハビリをしました。病室から見える山を見て、「山が赤くなったな・・・もうすぐ桜が咲くのかな・・・」て呟いた父に、「あの山がピンクになったら、帰れるよ・・・」と話し、「ほんとに・・・?」と笑顔で聞いた父の顔は忘れる事は出来ません。
結局、その約束を果たす事は出来ませんでした。
父の顔は本当に安らかで、亡くなった母のもとへきっともう着いている頃だと思います。
有田の地域で介護の仕事をいている私ですが、家で父を介護する事は出来ませんでした。酸素や点滴が山ほどついている状態でしたが、同じく看護師として働いている妹と、なんとか自宅で看取りたいと主治医に懇願しましたが、下関は在宅介護はまだまだ遅れており、いざという時に往診に来てくれる医者がいないから難しいと言われました。
今、そしてこれから、誰かの介護を頑張ろうと思う方達、後悔を残さないようにして下さい。私に出来なかった事、これからも多くの方の介護のお手伝いをしていきたいと思います。