11月8日(土曜日)秋晴れの和歌山ビッグ愛で、2府5県から、総勢200人弱の人達が集まり、ひらかれました。
障害児者をとりまく情勢の学習会に始まり、守る会の創始者達のご苦労されたお話に、涙し、午後からは、和歌山つくし医療福祉センターの飯塚院長先生のお話をお聞きする事が出来ました。
全国障害児(者)を守る会は、今年で50周年を迎えたとの事。
50年前、重度の障害を持つ子供達は、世の中に何も貢献が出来ないからと、見捨てられた状態にありました。重度の障害児を産みたくて産んだ親は誰もいません。母親は、自分が死んだらこの子は・・・といつも不安を抱え、大量の睡眠薬を密かに持っている親がたくさんいたそうです。
それが親達の頑張りによって、やっと、重度の障害児を受け入れる施設、嶋田療育園が建設されました。でも、当時、重度の障害児は長生きは出来ないと思われていました。だから、嶋田療育園は18歳になると、出て行かなければならないと言われ、またもや、親たちは、睡眠薬をかかえて、不安との闘いの毎日が始まりました。でも、死ぬことばかり考えるのではなく、子供とともに歩んでいく道を考え、切り開いてきました。だから、全国障害児(者)を守る会は、親の会ではなく、「守る会」と言う名称になったそうです。重度の障害を持つ子供達の生きる道を守る会なのです。
この子達は、働く事は出来ません。確かに生きている事に、どんな意味があるのかもわかりません。でも、どんなに障害が重く、誰かの手がなくては生きていけなくても、確かに生きています。うれしかったら、笑うし、悲しかったら泣くのです。
私達と同じなのです。
なんの意思表示も出来ない子が、なぜか、お母さんが面会に来ている時間、心拍数が穏やかになると言うデータ―が示されていると言うお話がありました。
私の長男翔平も、私がそばにいるのが幸せなのでしょうか??ことばでは何も言ってくれませんが、今日のお話を聞きながら、涙が止まりませんでした。
でも、それを今日参加していただいた、和歌山病院の指導室の先生達に話すと、「心拍数なんかはからなくても、翔平君は、喜んでるよ!」って言ってくれました。
翔平君、生まれてくれてありがとう!生きてくれてありがとう!そして、翔平を愛してくれる全ての人達にありがとう!
和歌山県有田川町にある「まごころランド」は、全ての障害を持つ子供達と、親御さんたちに常に寄り添い、みんなが幸せに暮らせるよう、お手伝いをします。
来年度には、就労継続支援と生活介護の事業所を立上げ、その後は、グループホームを建設し、いつかは、有田郡市で初めての施設を建設する為、毎日頑張っています。
誰にも相談できずに、一人で悩んでいるお母さん・・・ほんの少し、私達にSOSを送ってください。
きっと、今より、ほんの少し、幸せになる道が開けます!